昭和45年11月26日   夜の御理解


 信心が好きというような、そういうどういうところに信心が好きになっていくかというと、私どもの場合思うてみると、子供の時からいよいよのものが神様を拝んだり仏さまを拝んだりすることが、毎日のいわゆる信条にありましたから、その拝んでおる雰囲気と言うかね、とりわけ私あの母の里に参りますと仏壇の前に座って、もうどんなに忙しい時でも長々とお経文を上げて、そのお経文を聞いておって眠ってしまうというような、あのま雰囲気の中に私どもを育ててくれておりますが、そういう雰囲気の中にいつの間にかこの肌からしみ込んでくるというかね、心にしみ込んでくるというか、いつの間にかそのやはり信心が、何とはなしにそういう雰囲気が好きになっておる。私はこの朝晩の御祈念・・・・途中切れ